学者村別荘住民の方からの寄稿


     
 

 「日本の屋根」にたとえられる北アルプス。
おおいかぶさるような山岳を見ながら150万坪のアカマツ、カラマツ、クヌギの林の中に静かな学者村がある。
針葉樹林に囲まれ、「3日入れば3年は風邪をひかない」といわれる穂高・中房温泉郷。
北アルプスの山岳美その麓に広がるのどかな田園風景の安曇野。
四季さまざまな色どりを織りなして展開する豊かな自然と歴史、そこに住む人たちのあたたかさ、訪れる人々に"こころのふるさと"のうるおいを与えてくれる心の安まる土地。
この別荘地"学者村"を中心に周辺は自然空間が満喫できる日本の原風景がある。
"信濃富士"の別名がある秀麗な姿の有明山は常念岳とならんで安曇野の象徴である。


 このあたり一帯については評論家臼井吉見さんの小説「安曇野」「続安曇野」にくわしい。
そこには明治の後半、新しい時代の訪れをかぎとり、美術に思想に情熱を燃やした若き群像、東京新宿中村屋の創設者、相馬愛蔵・黒光夫妻とそれを取り巻く友人たち、井口喜源治、木下尚江ら。
その中に日本のロダンといわれた荻原碌山の若き日の姿もあり、移りゆく安曇野の四季とともに書かれている。
JR大糸線穂高駅近く、林の中にツタのからんだ赤いレンガのエキゾチックな北欧風の、小さな教会のような建物、近代彫刻を日本にもたらし、31才の短い生涯をとじた天才彫刻家、荻原守衛(碌山)の作品を集めた碌山美術館と付属館がある。


 学者村から目の前に開けるのは神戸原と呼ばれる広大な扇状地形。
右に針葉樹林をみながら安曇野を眺めるのは楽しい。
晩春ともなればカラマツの新芽の間に山ザクラがうす紅いろの花を咲かせる。
残雪のころ一面にレンゲ草の紅紫いろが田園を色どる。
秋は赤・黄・紫・緑と美しい紅葉は時間のたつのも忘れさせる。


 アルプスの冷たく清冽な伏水は湧き水となり、小さな小川を各所に創り安曇野のみずみずしい緑をのばす。
お米、ワサビ、ニジマスの養殖などの産業を育む。
この地は信州の代表的な穀物地、あづみ米の産地である。
戦前、東京のおすし屋さんは、この米を使ったという。


大正から昭和初期にかけて養蚕に、特産ワサビの隆盛もあって100人もの"ワサビ芸者"と呼ばれた芸者衆がいたという華やかな話もいまは語り草。
点在するどっしりとした白壁の農家、シックイの土蔵などが裕福な農村風景をかもしだす。
 "一夜穂高のワサビとなりて 京の小町を泣かせたい"
と安曇節にも唱われる"穂高ワサビ"は北アルプスから流れ出る万水川など幾すじの川の豊かな湧水と砂利、小石で栽培されている清流の生んだ特産品。
穂高ワサビの最盛期は大正末期から昭和12〜3年ころ。
ワサビ農家は250戸から300戸、ワサビ田は80ヘクタールにのぼった。
いくらとれすぎても値くずれがなく、莫大な金が動いたという。
全盛期には取り引き商店、花柳界も栄えた。
 「安曇名産穂高の山葵黄金白金砂に湧く」
とうたわれたこの地帯のワサビだが地下水源の上流で開田が進んで地下水が減り、往時のような華やかな姿はないが、最近の観光ブームに乗って再び復活、各所にワサビ田が見られる。


 春は緑の木陰を通り、秋は紅葉の落ち葉を踏みしめて散策する中で各路傍に道祖神の笑顔に出会う。
安曇野はまた庶民の信仰を象徴した道祖神の宝庫、またふるさとでもある。
村の守り神として村の中心や古い道の辻や三差路にたって、男女が互いに肩を抱き、酒をくみ交わす素朴な双体神が多い。
村民たちが五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄を祈り、塩の道千石街道を行きかう旅人の安全を守る神として、やがて子どもたちが成長し、適齢期となったとき縁結びや安産の神に発展、具体的な男女像をこの地方人独特の知性とユーモアで造り上げている。
祭りは1月15日の三九郎祭り。
道祖神は普通裏面に建立年などが刻まれているが、安政から明治まで、200年から150年前までのものが多い。
だれが造ったかは定かでないが近代になって腕のよい石工をかかえていた高遠藩の石工たちの作との見方が有力。
北アルプスの山ろくは、ワサビ、ゼンマイ、コゴミ、タラの芽、山ウド、フキなど山菜の豊庫でもある。地元の旅館や民宿の食ぜんには新鮮なこれらの山の幸が並び観光客を喜ばせている。

首都圏から200キロ、名古屋から150キロ。
アルプスが作り出した広大な自然と安曇野の風土に培われた良好の自然の中で、力に応じたスポーツを楽しもうと多彩なリクリエーション施設として全国9番目の国営アルプスあずみの公園の計画も決まり、北アルプスとともに生きる俗化されない安曇野の展望は明るい。