高原計画 代表取締役、穂高町学者村代表 鳴澤 一宏 より
はじめまして。
学者村創始者である、父「鳴澤 悦郎」の亡き後、
私が引き継いで学者村を運営しております。
思えば今から40年ほど前、まだ私が幼稚園の頃、
父に連れられて初めて穂高に行ったのを朧気に覚えています。
とても雪深い中(当時は今と違って、穂高はけっこう雪が積もりました)
、一日中旅館に預けられ、本人としては堪らなく嫌だったのですが、
今考えればその間、父は学者村設立の為に一日中走り回って
いたのだと思います。
高校生になってから、休みの日は東京から穂高へ行って
管理の仕事を手伝い始め、今に至っております。
当時、夜になると、食べるものを売っている店など一軒も開いてなく、
お腹が空くと松本まで出ないと手に入りませんでした。
連続テレビ小説の「水色の時」以来でしょうか、
それから穂高も見違えるように発展し、
リゾートとしても、まるで軽井沢前夜のような感じがいたします。
そんな中、学者村だけは昔のままの姿を残しています。
この学者村のような自然のままの別荘地を好まれる方も、
そうでない方もいらっしゃると思いますが、私どもとしては
出来る限り静かで、素朴な学者村としての環境を
これからも維持してきたいと考えております。
今からもう20年ほど前、父と相談し、これ以上学者村を
拡げることを止めました。
すでに1400区画40万坪ですから、これ以上手を広げると
管理が疎かになるというのがいちばんの理由です。
ですから穂高町学者村は、今より大きくする予定はありません。
今の状態を出来るだけ長く、そしても将来ずっと先まで
学者村という名前がこの地に根付けば嬉しいと思っております。
私は今、東京で歯科医院も同時に営んでおります。
ちなみにこの学者村のスタッフの半分は歯科医院の
スタッフでもあります。
歯科というのは治療期間が長く、中には一年以上、
ずっと通う方もいらっしゃいます。
ですから治療が成功する為にいちばん必要なことは、
いかに患者さんとお互いにコミュニケーションがとれてお互い仲良く
信頼関係を持って治療に望めるか。。。
これに尽きると思います。
それには患者さんの訴えようとしていることを全て聞き出し、
またそれに対する答えをひとつでなく、考えられるあらゆる方法を
全て提示する。。。いわゆるインフォ−ムド・コンセントです。
それがとても重要です。
同じようなことが穂高町学者村の管理運営にもたいへん
大事なことだと思っております。
私どもの会社は決して大きい会社ではありません。
でも、ですからこそ、家族的な、痒いところに手が届くような
お付き合いができれば良いなと考えております。
今後ともよろしくお願いいたします。
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